こんにちは
葵です。
最近毎日のようにミヤザキさんと電話で話せています。嬉しい。
普通というのはとても尊いものである
「普通じゃないよね」とか
「普通こうじゃない??」とか
「普通のことなのに」とか
「普通」ってその人ごとに「普通」の数があるのに、その「普通」を相手に押し付けてくる人が結構多いことに驚くことがある。そう言っている自分もそうなっているときもあるかもしれない。危険。「常識」も同じ類なのかもしれない。
自分の「普通」と相手の「普通」が同じか似ているならば、それは決して当たり前のことではなくて、喜ぶことであると思う。
これから生活をしていく中で、たぶんお互いの「普通」が同じではないところも出てくるとは思うから、それはお互い対話して、説明しあって、擦り合わせていきたいと思っている。そういう努力ができるようになりたい。
感情的な話
40超えて生きていく中で、それなりに嫌なことや苦しい経験とかもあって、それを消化しているものもあれば、思い出すたびにモヤることもあるわけで。先月サナエさんと会ったけれども、その時に以前の悲しい出来事の話題になって、「その時に自分がこうしていれば…」という思いと同時に、「どうしてあの人はそんなことをしたんだろう」という恨み節の感情が出てきていたんですよね。
今日ミヤザキさんと話している中で、そのことを思い出すようなフレーズがあったので、会話泥棒をした上で、そのモヤっていた話を整理しないままそのままにミヤザキさんに感情のままに話してしまった。それでなくても人の悪口を聞くことが嫌いなはずのミヤザキさんなのに、最後まで聞いてくれた。無言になっているミヤザキさんに気づいて、自分も「あ!」と思って謝ったんだけど、こういうのは謝って問題じゃないよね。反省。
改めて、私が結婚しようしている相手がミヤザキさんでよかったなということを感じた。
素敵な相手を与えてくださった神様に感謝します。

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